平成13(2001)年8月13日、上花輪歴史館の敷地全体は、「髙梨氏庭園」の名称で国の名勝として指定されました。千葉県としては初めての、また、昭和の庭園としては全国初の、名勝指定でした。
その後、平成21年(2009)には欅並木も追加指定、観音堂も保護が必要と考えられる範囲とされるなど、隣接地も含め、この一帯が「名勝」として文化財的価値を有すると認められています。
明治期、現在の形-二本の柱の上部に横木(冠木)を通した形式の門-に。昭和17(1942)改築。
江戸期の表門。明和3年(1766)築。壁面を鼠漆喰で仕上げた「門長屋」は、髙梨家は武家ではないため門ではなく長屋であるとして、江戸期より「門長屋」と呼称されてきたものです。種々取り混ぜられた瓦から、度々改修をし手入れをしながら大切に守ってきたことがわかっています。
昭和6年(1931)築の母屋です。
原設計は大森茂ですが、28代主の意向に基づいて大森設計案を大改稿し、大林組が施工しています。
表玄関/内玄関/勝手口と出入りにも格を大切にしつつ、応接室・書斎に洋間が作られたり、バリアフリーが図られていたりと西洋式が取り入れられています。
一家の当主であるとともに家族との生活の場を大切にした28代主の生き様を感じることが出来る建築です。
宝暦ごろの築か。文化3年(1806)、明治期改修。
高梨家で最も格式の高い客間として使用されてきました。江戸期より代官など身分の高い客人のため、風呂・便所が備えられていました。
明治期より1枚も割れずに残っている手漉きガラスの風合いもお楽しみください。
明治10年代(1877~1886)築。3月の初午祀の際に御神楽を奉納するためのものです。戦前までは村の人々が集い、賑やかに春を寿いでいました。
江戸末期築。江戸期には修験者が住んでいた、という伝説も伝わっていますが、昭和6年(1931)改築し、現在は、茶室風の離れになっています。
普段、雨戸は閉じていますが、床柱はもみじで、高床式に張り出した廊下からは2堀越しの景色を楽しむことが出来たと思われます。
書院側には鞍馬石の蹲、堀側には舟付灯篭が配されています。
飢饉に備えた備蓄倉庫として江戸期に建てられた籾蔵は、火事に強い上屋造りです。
蔵前広場は、年に1度の曝涼や様々な作業場として利用されていました。
馬廻しには、消火道具や、大八車、農作業具などを展示しています。書院から移築した雨戸は、本来、開放時には戸袋に収納されて見えない雨戸の機構を間近に見ることが出来る、隠れた見学ポイントです。
下部屋は、職人・庭番の休憩・宿直室として用いられていた建物です。使用人の部屋らしく、縁の無い畳が敷かれています。
目の前の井戸屋形は、江戸時代から続く井戸を利用した作業時の便を図り、屋根を掛けたものです。井戸水は現在でも年に1度の水質検査を継続。上質な水が汲み上げられています。
歴史館に隣接して建つ上花輪の観音堂。
宝暦3年(1753)建立。宝暦10年(1760)鳥居建立。
安永4年(1775)観音堂棟修復。平成5年(1993)観音堂屋根改修。
(名勝指定地外ながら保護が必要と考えられる範囲と判断されています)
元からあった湧水や崖の流れを生かし、天保6年(1835)築。文久2年(1862)改修。
家人が江戸へ行くための江戸川の乗り合い船に乗るために、また江戸からの客人をお迎えした船着場です。
現在、駐車場として使用されている高梨家元蔵跡地の一角にある、高札場の跡地です。安永8年(1779)の修復記録が残っています。
表玄関や書院後方に見える椨の大木は、山に見立てられ、「北に山」と風水に言われる屋敷の好立地の条件を満たしています。
門長屋を抜けて最初の庭は、玉砂利が敷き詰められ、赤松の老木が格調高さを表しています。
髙梨家でもっとも格の高い客間-書院-の庭。「庭に松柏」と言われるように、黒松と柏が主木です。飛石は昭和初期の改修により根府川石から鞍馬石に変更されました。
昭和初期の客間-残月-の庭。
対面の休憩室からもお楽しみください。
昭和初期の改修時に、髙梨家の家族のための日常の庭として作庭されました。
職人や使用人が家族の視界に入らず移動できるよう、外周に通路が設置されているのも見所です。
江戸時代来の榧の木を中心とした人工林は、住宅部へ射し込む西日を和らげてくれる効果を持ちます(「西に林」)。観賞用の草木ではなく、食用なり薬用なり建材用なりと需要のある樹木が植えられています。
時代とともに役目を終えた醤油の絞り石や仕込桶の敷石が、飛石や土留めとして再利用されています。
戦後に植樹されたメタセコイアにも注目。
平成21年に追加指定された欅並木。醤油圧搾機にも使われた欅は、現在も道ゆく人々に木陰を提供しています。